こんにちは。行政書士の石濵です。今回は農地に関するお話です。
行政書士の職務の一つとして、農地に関する権利移動(農地法第3条、5条の許可申請)及び農地転用の許可(農地法第4条及び5条の許可申請)があります。
ご年配の方だと詳しい方が多いのかと思いますが、実は農地というのは、例え自分の所有物であっても、自由に売買したり、農地以外の用途で使用することができない場合があります。ですので、農地を持て余している農家さんや、農地を買って家を建てたり事業をしたい方は行政書士の先生にお願いして(あるいは自分で)、農地を違う地目に変更しなければなりません。なぜ、こんな面倒な仕組みになっているのでしょうか。
説明のために、まず農地に関する歴史を読み解きます。
農地をめぐる所有権の流れ
農地に関する法律で一番有名な法は、もちろん「墾田永年私財法」ですよね(笑)。古くは645年に中大兄皇子と中臣鎌足が中心となった政治改革である大化の改新によって公地公民(私人の土地所有は禁止。土地はすべて天皇のもの)という考え方が確立されました。農民は天皇から土地を借り(口分田制度)そこから税金を天皇に収める、いわば小作人として生活していました。土地が自分のものではなく、いつ取り上げられるか分からない不安から、農民のモチベーションはとても低かったそうです。
その後、税収が芳しくなく、農民のモチベーションアップの為、当時の天皇である桓武天皇は三世一身法(土地を新たに開墾して農地にしたら3代の間は自分の所有物となる)を発令しましたが、それでも大幅なモチベーションアップに至りませんでした。
そこでみんな大好き「墾田永年私財法」が743年に発令します。この法はご存じの通り「新たに開墾した土地は代々自分の所有物にしても良い」というものです。この制度を利用し、貴族が人を使い多くの地を開墾し「荘園」が生まれましたが、戦国時代に武力で土地を奪い合うこととなり、この荘園制も段々と消えていきます。
その後は日ノ本統一を果たした豊臣秀吉による「太閤検地」にて耕作者が土地の所有者として税金を納めることが徹底され、完全に荘園制が消えました。その後、明治政府の地租改正を経て、現代まで所有権の系譜が続いていきました。
そもそも所有権って何
歴史の紹介が長くなりましたが、紆余曲折あり、現在では農地に限らず土地の所有者はほぼ全ての土地決まっています。権利者はその土地の登記証明書を確認すれば一目でわかるようにシステム化されました。(登記証明書と所有者が違うケースは往々にしてありますが・・・)
ここで話を戻しますが、例え所有権が確定していたとしても、それでもなお、農地に関しては自分の好き勝手な利用は制限されています。
所有権の根幹として、憲法29条があります。
第29条(財産権)
①財産権は、これを侵してはならない。
②財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
③私有財産は、正当な補償の下に、これを公共の為に用いることができる。
①では、「財産権を侵してはならない」と言い切ってますが、②③でしっかり例外に踏み込んでます。この②の中の「法律」がここでいう「農地法(及びその関連法)」となります。
農地法の目的
多くの場合、法律の第一条にその法律の目的が書かれおり、農地法も例外ではありません。
第一条 この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。
要約すると、農地法の目的は耕作者の地位の安定及び食料の安定供給にあることが分かります。
農地法は1952年に制定された法律ですが、上記第一条も年月とともに何度も改正をしています。制定当時は、まだまだ「農家は家長が土地を代々守っていかなければならない」という考え方が多く、農地の売買や転用が困難だったこともありましたが、時代とともに「代々の農家さん」の数も減少し、売買や転用にも寛大になってきました。
ですが、どこでも好きなように売買、転用できるわけではありません。次回は農地売買、転用の許可と許可の難易度について解説します。
次回もよろしくお願いいたします。